ハイジと共に、テクノロジーの頂へ:大阪・関西万博スイスパビリオン image
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ハイジと共に、テクノロジーの頂へ:大阪・関西万博スイスパビリオン

大阪での6ヶ月間にわたる軌跡のハイライトをご紹介します。

大阪・関西万博は、スイスにとって、イノベーションを紹介し、日本との関係を深め、100万人を超える来場者と繋がるための比類なきプラットフォームとなりました。

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2005年の愛知万博から20年を経て、スイスパビリオンは明確な使命を担って日本に戻ってきました。それは、来場者を共同イノベーションの世界へ、没入型かつインタラクティブな旅へと導くことです。「ハイジと共に、テクノロジーの頂へ」というテーマのもと、展示はアルプスの伝統から世界的なテクノロジー・研究の拠点へと進化するスイスの姿を反映しました。日本で愛されるハイジは、パビリオンの公式マスコットであり、両国をつなぐ象徴的な存在として活躍。大阪・関西万博は、すでに強固な二国間関係をさらに強化する機会となりました。

スイスパビリオンは「人間拡張」「生命」「地球」の3つの展示テーマを通じ、研究者、市民、自然の協働が、新しい共生のあり方を切り拓く可能性を示しました。6か月間の会期中、来場者は100万人を超え、75件以上のイベントや代表団を迎え、550回以上のガイドツアーを実施、VIPゲスト7,901名を迎え、学術界・産業界・外交関係者とのコラボレーションも行いました。スイスパビリオンは2,700件以上のメディアで取り上げられ、SNS上でも大きな反響を獲得。さらに、Bureau International des Expositions の「Architecture & Landscape, Self-built pavilions (Type A, 1,500m2-) 」銅賞、EXHIBITOR Magazineの「Best Small Pavilion」やThe Experimental Design Authorityの「Best Sustainable Pavilion」銅賞なども受賞しました。

11ヶ国を話す47名の多言語スタッフは、毎日文化の通訳者として活躍しました。子どもたちにサンゴ礁を説明したり、代表団を案内したり、日本の皇族をお迎えするなど、多彩な役割を果たしました。来場者は20の画期的なプロジェクトに触れ、GESDA(ジュネーブ・サイエンス・ディプロマシー・アンティシペーター財団)と共に523,000の架空の未来を描きました。ハイジカフェでは22,673皿のラクレットが提供され、話題の「『ス』椅子」は人気のフォトスポットとなりました。

2005年の愛知万博の際、現政府代表が初任期を務めて以来、スイスはサラゴサ、上海、麗水、ミラノ、アスタナ、ドバイなどすべての万博に参加しています。各回独自の課題がありましたが、ひとつの確かな真実を再確認する機会でもありました。それは、どんなデジタル技術も、直接の出会いに勝るものはないということ。シャボン玉で遊ぶ子どもの笑顔、パビリオンの展示で未来社会をデザインする代表団、そしてハイジの物語がアニメより前に、ヨハンナ・シュピリの小説から始まったことを知る日本の来場者——それらは万博で生まれた多くの心に残る瞬間の一例です。さらに、食べられるロボットや、最先端技術を用いた伝統工芸の再創造など、学術・ビジネス面での日瑞関係も深まりました。両国関係の歴史は古く、1863年のスイス貿易使節団による日本訪問に始まり、1864年2月の日瑞修好通商条約締結につながっています。その後も2009年には、スイスと日本の間で初めての自由貿易・経済連携協定(EPA)が締結され、関係がさらに強化されました。

スイスパビリオンがその扉を閉じるにあたり、チームは忘れがたい思い出だけでなく、より強いグローバルな繋がりの構築に貢献できたことに感謝しています。大阪・関西万博の大屋根リングのように、チームの経験は世界がひとつなることを実感するものとなり、スイスの今後の万博参加に向けた貴重な学びともなりました。

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