日本刀とスイスの架け橋—ジョハン・ロイトヴィラーの挑戦 image
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日本刀とスイスの架け橋—ジョハン・ロイトヴィラーの挑戦

何世紀にもわたり、日本刀鍛冶は精密さ、忍耐、そして深い文化的意義に根ざした芸術として受け継がれてきました。この古来の技術に没頭する機会を得た外国人はごくわずかですが、スイス出身の鍛冶職人でありVitality.Swissプログラムのアンバサダーでもあるジョハン・ロイトヴィラーさんは、公式に認められた日本刀鍛冶職人となった初の外国人です。金属加工に対する憧れから、17歳の時に日本刀に魅了されて以来、34歳となった現在までその伝統工芸に人生の半分を捧げてきました。伝統工芸の素晴らしさを伝えるために、心に響く作品作りを目指す彼の夢の物語をぜひご覧ください。

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スイスから日本へ:鋼と炎への情熱

ジョハンさんが刀鍛冶になるまでの道のりは決して普通のものではありませんでした。アルプス山脈の真ん中、スイスの南部ヴァレー州のモンテーで育った彼は、金属を形作るプロセスに魅了され、やがて鍛冶職人の道を歩み始めました。日本の伝統的な刀鍛冶への関心が彼を日本へと導き、広島で著名な日本刀鍛冶職人のもとで5年間の弟子入りを果たしました。2024年、文化庁から日本刀製作の認可を得て、その努力と献身が正式に認められました。彼の目標は、人々の心を打つ芸術作品を作ること、そして伝統工芸の卓越性を世界に示すことです。ジョハンさんは在日スイス大使館のコミュニケーションプログラム「Vitality.Swiss」のアンバサダーも務めています。

ジョハン氏の金属加工への情熱、そして刀鍛冶としての道を歩むことを決意した背景にあるストーリーをお届けします。彼のインタビューを通して、彼の物語をぜひご覧ください。
まず、金属や日本刀への興味を持つきっかけを教えてください。
ジョハン
中学校の時から鉄工所で仕事をしていたお兄さんの背中を見て、興味が湧いてきました。人力でどうにもならない硬い鉄を、職人が正しい技で自由自在に加工する姿に憧れて、自分も見習いを始めました。
17歳の時に初めて日本刀を見た時に、そのすんなりした姿の美しさに感銘を受けました。鍛冶屋と言えば、日本の刀鍛冶が歴史上、一番腕の立つ職人だと言っても過言ではありません。自分も鉄を加工する専門の職人で、その延長線で日本刀製作に挑むことにしました。
弟子入りの経験について教えてください。典型的な一日を教えてくれます?
ジョハン
親方の下で仕事するにあたって、楽しい時もあり、そうでない時も当然あります。5年もの間ずっと二人っきりで過ごしたので得難い勉強でした。刀鍛冶は一見敷居が高い業界というイメージがあるのですが、入ってしまえば、外国人であるにも関わらず皆気さくに接してくれてます。 

凄まじい熱が発生する仕事なので、基本は午前中のうちに鍛冶仕事をします。鍛冶仕事の中でも様々な作業温度がり、一番高温を要する仕事を朝のうちに優先的に行います。午後は刀の形作りや研ぎ、仕上げ仕事をする場合が多いです。天気の良い時は外で鍛冶仕事に必要な炭を切ったり、選別したりもします。
日本での修行を通じて、ご自身にどのような変化がありましたか?また、修行中に得た教訓や気づきを教えてください。
ジョハン
私は14歳の時から職人なので、大きな変化はないですが、ゼロから刀鍛冶になりたい方に多少の訓練が必要かもしれまん。ずっと火の前に座っていて、ずっと叩いていて、火の子が飛んできたりする仕事なので、ある程度の忍耐力が必要です。

1000年も前から日本刀が存在しています。刀鍛冶になって、日本刀が古来日本人にとってどれほど大切な物だったかが分かりました。日本語や神道の神話といった日本文化の中心まで日本刀に影響を与えられました。現在でも、知らず知らずのうちに日本人が刀を由来とした言葉を毎日使っています。

1000年前の刀が現在も多く残っています。なので、私たちが作る日本刀の寿命は1000年だと言われています。現代人は過去を無視し、将来に向けて革新することだけを考えているのですが、今の人間が果たして1000年もの間残るものを作れるのでしょうか?ということを考えさせられます。
好きな料理は?日本の刀以外の趣味を教えてくれますか?
ジョハン
好き嫌いがそんなになくて、なんでも食べていますが、一番好きな料理と言えば、中華風にアレンジされた和食が最高に美味しいです!趣味が沢山あるのですが、最近は主に国内旅行と外食を楽しんでいます。時間のある時は散歩、写真、ボルダリングしたりしています。
日本刀鍛冶の持続可能性は、健康的な生活や持続可能な実践にとどまらず、伝統を守り続けることにもあります。ジョハン氏の考えをお聞きください。
あなたの仕事をより持続可能なものにするために、何か対策はとられていますか(地球に対してだけでなく、伝統が生き続けるような持続可能性という意味でも)。
ジョハン
刀鍛冶と言う伝統工芸は1000年前からほとんど変わってないので、現在でも、平安時代の刀工と同じ方法で刀を作っています。刀鍛冶しか扱えない技が多いので、この仕事をしていれば後継者育成の大切さが分かります。同じ技術は西洋にはそもそもなかったと考えられているので、スイスまたは西洋の鍛冶技術とは雲泥の差です。

刀鍛冶の後継者育成のため、文化庁が補助しています。修行中の弟子が自由に参加できる3日間の研修会が年に2回開催され、その時にほとんど自由に仕事できます。なお、弟子を育てる一部の刀鍛冶には、直接に文化庁からの補助もでますので、一定の後継者育成が保証され、持続しています。刀鍛冶が現在200人ぐらいいますので、それより更に減らないように、これから私たち新しい世代が工夫しなければなりません。
あなたにとって日本刀職人とは?
ジョハン
私はスイス人として修業を始めたのではなく、腕を上げたい職人として入門したかったわけです。なので、師匠が国籍関係なく私を取ってくださったことをとても有難く思っています。刀業界は案外、閉鎖的でなく、外国人でも普通に入れます。ただし、私の場合には、永住することが条件でした。刀造り技術が日本から出てはいけない、と言う皆の気持ちを尊重する必要があります。私は最初から永住するつもりだったからこそ、師匠の下で入門できていたのでしょう。私にとって刀匠である事は、1200年も前から存在する技術の後継者、代表者になることなので、決して自分に甘える事なく、日々精進して、刀業界を作り上げた先輩達が誇らしく思える姿勢で努めるつもりです。
日本が好きで、ここで彼女と一緒に家を買って、日本人の刀鍛冶として活動したいのが、私にとって、自然な流れです。これからずっと日本なので、スイスの国籍を保つ理由もないし、逆にスイス人である事で毎年のビザの更新が苦痛です。
スイスに戻る予定はないようですが、国際的な視野を生かす予定はありますか?海外も含めて、より多くの人があなたの仕事に興味を持つことを期待していますか?
ジョハン
修業が終わって、現在は刀鍛冶として活動しています。コンクールの出品作を造り、受注作、講演会、説明会、幅広く活動しています。これからの私の住む場所は日本ですが、作刀技術の魅力を広めるためにはスイスには行くつもりです。残念な事ですが、現在は日本人よりも外国人の方がよっぽど日本刀に興味があるので、自分は外国人として、日本の刀業界に貢献すべくスイスやヨーロッパで知って頂くように活動するのも私も使命なのではないかと思ったりします。具体的な計画としては、自分一人だけでなく、同期の刀鍛冶を一人か二人ほどスイスに連れて行って、今まで開催された事のない現代刀匠展示会をジュネーブで開催できればと思います。
日本への情熱があり、あなたと同じような道に進みたいと考えている人にアドバイスをお願いします。
ジョハン
自分の道の歩み方は皆ちがいますが、もし日本に来るのであれば、日本語をしっかりと取得するのをお勧めします。日本語はただの言語ではなく、何百年もの文化、しきたり、風習が潜んでる言葉なので、周りの人を理解するため、溶け込むためには必要不可欠だと私は思います。日本語が話せる上での日本人との交流は私にとって掛け替えのない日々の勉強になります。
最後に、リスナーに伝えたいことはありますか?スイスと日本での経験について、逸話、観察、メッセージなどがあればお聞かせください。
ジョハン
固定観念にとらわれないこと!自分で経験して確かめろ!
伝統工芸を通じた文化交流

ジョハン・ロイトヴィラー氏の物語は、伝統工芸の魅力と国境を超えた交流の力を示しています。

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© Romain Guélat

ストーリーのカバー:
© Romain Guélat