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スイスの冒険ファミリー、日本周遊自転車の旅!

セリーヌとグザヴィエ夫妻は、2010年以来、自転車で世界を巡る旅を続けています。旅の途中で生まれた2人の女の子とともに、ノマドライフを続けながら辿った道はなんと90,000kmに及びます。そのパッシュ一家は、ジャパンエコトラック公式アンバサダーとして日本を走破する新たな冒険に乗り出しました。ここでは6か月に及ぶ一家の旅の様子を毎月レポートしていきます。お楽しみに!

© Pasche Family

パッシュ一家は、6ヶ月間の冒険のために今年5月23日に大阪に到着。本州と北海道を6,000キロにわたって自転車で巡り、地元のみなさんと交流を行う他、自分たちの生き方や自然の中で過ごすことの大切さについて講演を行う予定です。ジャパンエコトラック公式アンバサダーに任命された彼らは、15のジャパンエコトラックを走り、持続可能な移動を促進するための複数の会議やイベントに出席する予定です。Vitality.Swissプログラムのゲストとして彼らをお迎えできることを大変嬉しく思います。大阪から北海道まで行き、東京を経由して戻ってくる彼らの日本での冒険を追いかけていきます。一家の日本での体験談をどうぞお楽しみに!

彼らの8つのインタビューをご覧ください。

8-パッシュファミリーの日本での冒険物語!サイクリング、文化、コミュニティーについて語ります

13年にわたり自転車で世界を巡る旅を続けている、スイスの冒険一家パッシュファミリーへのインタビューシリーズの最終回をお見逃しなく!パッシュファミリーが地域や文化とのつながり、個人的な思い出、旅先での困難の乗り越え方などについて一連のインタビューで語りました。最終回となる今回は、忘れられない6ヶ月間の日本縦断の旅を振り返り、山あり谷ありの道中の体験に迫ります。

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2023年11月に6カ月間の自転車による日本一周を終えましたが、その感想は?

パッシュファミリー
この旅は、日本で最も暑かった夏のひとつを経験する強烈な旅でした。何か月間も野外サウナに入っているようでした。台風、梅雨、太平洋からやってきた激しい嵐、地震、そして火山の驚くべきエネルギーも体験しました。強烈であるとともに驚きに満ちていて、その衝撃が私たちの感覚を満たしてくれました。もちろん、チャレンジでもありました。6カ月間で5000キロを自転車で走り、富士山の高さの8倍に相当する合計3万メートル以上の標高差を走破しました。私たちが日本一周したルートは、訓練されたサイクリストなら2カ月で走破できます。家族で、しかもトークイベントをはさみながらとなると、話は別です。ナイラとフィビーにとっては大きな経験でした。ナイラ(10歳)は、時には本当にハードなコンディションの中、全行程を自転車で走破しました。彼女は途中で4つの「SEA TO SUMMIT(シー トゥー サミット)」を完走しました。フィビーは毎日10キロから35キロを走りました。彼女も千曲川のシートゥーサミットを完走しました。トリオでのカヤック、23kmのサイクリング、高社山山頂までの1000mハイキングを、6歳にして1日で完走したのです。私たちがナイラとフィビーのペースに合わせ、励まし、二人が辛くなったらゲームを作って手助けし、疲れを紛らわせるようにしたから完走できたのです。

今年2023年は大きなサプライズで幕を閉じます。モンベル・チャレンジ・アワード2023を受賞したのです。2019年の賞は私たちの生き方を称えるものでしたが、2023年の賞は私たちの娘、ナイラとフィビーに捧げられたものです。彼女たちの強い決意と勇気がなければ、私たちは「2023年日本の自然の驚異」プロジェクトを完遂することも、この冒険生活を送ることもできなかったでしょう。ありがとうナイラ、フィビー。
冒険の中で、自分では予想していなかったような出来事に対処しなければならなかったことは?
パッシュファミリー
トレーラーのタイヤが完全に破れてしまったりすると、道中で修理しなければなりません。ブレーキにも問題が出て、全部交換しなければなりませんでした。ビザを延長するために、入国管理局に行かなければなりませんでした。毎日正午には、湿気や雨を乾かすためにすべての装備を開け、テント、タープ、寝袋、マットレスの梱包を解く。つまり、1日に2回、すべてを梱包しなければなりませんでした。

何事にも時間がかかります。旅の間に書いた100本の記事、聴衆に刺激を与えた25回の講演と4回の環境シンポジウム、グザヴィエが撮った何千枚もの写真と何時間ものビデオ、そしてナイラとフィビーの勉強時間を別にしても、です。毎日サイクリングをするということは、ストレッチ、傷や筋肉痛の手当て、虫刺されの対処など、体のケアをするということでもあります。このすべてを感情のバランスを保って行いますが、私たちが日本へ飛び立とうとしていたときにセリーヌの父親が他界し、感情がとても不安定になりました。プロジェクトの最初の2週間はキャンセルされましたが、2週間では別離に対処するには不十分で、心の傷口はまだ開いていたし、感情も揺れていました。
今回で5度目の来日となりますが、思い入れのある場所や出来事はありますか?
パッシュファミリー
たくさんあります。北海道は私たちにとって聖地です。7年前、私たちはこの島でサイクリングをしていました。私は妊娠5カ月でした。ナイラは3歳でした。南富良野で陣痛が始まって、どんどん強くなりました。私たちの息子は光の中で生まれましたが、早すぎました。彼の誕生は彼の死となり、私たちはこの内なる台風を生き抜かなければならなかったのですが、同時に本物の台風がこの小さな村を破壊しました。風の威力の前に木々がしなっていたのを覚えています。でも、ある意味、自然は私の痛み、苦しみを理解してくれるような気がしました。そして、北海道の自然が私を癒してくれました。だからこそ、この地は私たちにとって常に神聖な場所なのです。私たちは日本と深いつながりがあるのです。

もちろん素晴らしい思い出もできました。私たちが登山家だからかもしれませんが、6つの山頂へのハイキングは本当に楽しかったです。毎回とても特別な経験でした。いつも風景と不思議な一体感を感じています。「時間が止まっている感覚、ただ平穏の中にいる貴重な瞬間を与えられている感覚。たとえそれが、天候が変わって私たちが下山しなければならなくなるまでの数分間だったとしても」とセリーヌは説明します。私たちは、海の見える大山、再生というスピリチュアルな山である月山、北海道最高峰の旭岳、活火山の樽前山、ハート型の湖がある吾妻小富士、色とりどりの紅葉が楽しめる高社山に登りました。

また、ひときわ思い出深いのがねぶた祭りです。色とりどりの山車が、太鼓の振動と笛の音に合わせて通りを練り歩く姿は、本当に信じられないくらい素晴らしいものでした。温泉は、私たちが本当に楽しんだ日本のもうひとつの側面です。特に、寒い季節にサイクリングをした後、温かい風呂に入るのは、いつもその日のハイライトでした。最後に、私たちが抱きしめた堂々たる巨木はすべて、日本の自然や土地との重要なつながりとなりました。巨大な幹の前で着物を着たナイラとフィビーが写っている写真は、私たちと自然、そして日本との絆を象徴しているのかもしれません。
日本での滞在は皆さんにどんな影響を与えましたか。この6か月間の冒険から何を得ましたか。
パッシュファミリー
もちろん、たくさんのことを学びました。能登半島を走っている時にフィビーが初めて自転車のハンドルから手を離したこと、ナイラが前よりひらがなを読めるようになったこと、グザヴィエが自作の篠笛を演奏するという新しい趣味を見つけたこと、などです。セリーヌもカヤッキングをとても楽しんでいました。「その土地を探検するための、とても素晴らしい方法だと思いました。日本は川が多いので特にそう思います。私たちの地球探検にとって新しい手段になると感じました。いつかカヤックで冒険をするかもしれません」私たちは日本文化にも浸って、とても多くの新しいことを学びましたが、滞在中のハイライトの一つは日本で築いた絆です。

フィビーは虫を眺める時間が好きなので、昆虫を観察している日本の子供たちと喜んで遊んでいました。「トンボを捕まえる日本の方法を教わったの。トンボの目に向けて指をクルクル回すと、トンボは目がくらんで簡単に捕まえられるのよ。干し柿の作り方も教わったけど、残念なのは毎日納豆を食べられないこと」

ナイラは日本で接した大人たちにとても感謝しています。「みんな私のことをすごく気にかけてくれて、一緒に遊んでくれたり、ふざけてくれたりしたの。私と一緒に大人の人たちが笑ったり走ったり遊んでくれたのがとても嬉しかった」とナイラは話します。「チャチャ、辰野さんにまた会えてとても嬉しかった。一緒にカヤックやハイキングをしたの!いろんな遊びを教えてくれて、特に好きだったのは辰野さんが日本の笛を演奏するのに合わせて歌ったこと。日本で一番感動したのは、辰野さんが竹笛でもののけ姫を演奏するのを聞いた時」とナイラは説明します。

「旧友にまた会えて、涙が出ました」とセリーヌが話します。「同時に、たくさんの人々に出会って、新しい友達ができました。大阪での私たちの最後のトークイベントに大勢の人たちが来てくれたのを見て、本当に胸がいっぱいになりました。古くからの友人も、今回の旅の道中で出会った人たちも、両方です。このために6時間もドライブして来てくれた人もいました。私たちがこの人たちにどんな影響を与えているか、これまで本当に気付いていませんでした。私たちの話の途中で泣いている人を見ましたし、私たちは人生の灯台だとか、私たちの影響で人生が変わった、あるいは何か違うことをやってみると言ってくれる友人もいました。これは、とても貴重な贈り物だと感じています。私たちには文化をはるかに超えたつながりがあるのだと気づきました」 

私たちにとって、この生活は文化、人々、そして自然と人間との間に橋を架けることを意味します。人々と、その人たちの中で揺れ動く不可能との間に橋を架けること。この点において、「自然の驚異2023」は成功を収めました。
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7-旅で学ぶ:定住しない生活を続けるスイスのパッシュ一家の冒険の旅からの洞察

スイスの冒険家一家、パッシュファミリーが6ヶ月に及ぶ自転車での日本縦断を成し遂げた!2010年から続く彼らの旅が周囲の世界に対する彼ら自身の見方や、コミュニティ、自然、時間、文化などとのつながりにどのような影響を与えたかを知ることができました。 13年にわたる世界一周の旅で、彼らは未知の世界に深く潜ってきました。最新インタビューでは、彼らのユニークなライフスタイルや、旅の途中で培ったスキルなど、貴重な洞察を交えながら、あなたの切実な疑問にお答えします。

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このライフスタイルのおかげで、どのようなスキルを身につけることができましたか?

「毎晩、テントで寝ます。夜明けに起きて、その夜どこで寝るかわかりません。これまでに学んだことがあるとすれば、それは常に未知の世界に飛び込むことです。期待や確信では埋められない巨大な空白が目の前にあることを学びました。異なる環境、異なる文化に浸り、ペダルを踏むたびに自分の人生の物語を綴っています。未知の世界に飛び込むことは、人生を完全に信頼することへの招待状なのです」とセリーヌは語ります。

「私たちには鋼鉄の精神と果てしないやる気と忍耐力が必要です。しかし、戦うのではなく、穏やかに切り抜けることを学びました。サイクリストにとって最も難しい要素のひとつは風、向かい風です。峠を走れば、必ず下りがあります。風は何週間も吹き続けることがあり、そのおかげで平地でも時速7キロに満たないこともありました。私たちは、変えようのないものと戦ってエネルギーを浪費しないことを学びました。いつもとは違う時間に自転車をこぐこともあります。例えば、オーストラリアではサイクリングをするために朝4時に起きましたが、それは正午には風が強くなりすぎたからです。しかし、これはむしろ心の持ちようなのです。私たちは戦いに向かうのではなく、たとえ風と対峙していたとしても、風の力と自分自身を一体化しようとしているのです」とグザヴィエが説明します。

もちろん、言語や医療技術から、自然の中で生きてサバイバルする方法、適応の仕方、解決策の見つけ方まで、さまざまなスキルを身につけます。大自然を観察する能力が向上するだけでなく、人間同士の相互作用も察知できるようになります。24時間365日一緒に暮らすために、私たちはコミュニケーション能力を磨かなければなりませんでした。そして今も、その努力を続けています。何よりも、自分の能力を信頼し、必ず道は開けると信じることを学びました。あえて挑戦すること、あえて尋ねること、あえて人と違うこと、あえて直感に従うことを学びました。実際、私たちはよく五感を使って世界を体験すると言いますが、最も使っているのは直感です。ウズベキスタンにいた時、グザヴィエは何か強い直感を感じて真夜中に目覚め、叫びました。その時、私たちは暗闇に消えていく2つの影を見ました。私たちは直感を磨いて、最も貴重な味方にします。

SEA to SUMMIT(特に宮城)のイベントはいかがでしたか?

すべてのイベントに自転車で移動するので、残念ながら宮城のSea to Summitには参加できませんでした。いずれにせよ、Sea to Summitのイベントは素晴らしい経験でした。レースや競争ではないという点が特に素晴らしい。目的は身体的な挑戦を楽しむことであり、さまざまな地域、さまざまな背景、さまざまな年齢、さまざまな情熱を持った人たちと出会うことです。私たちは一緒に参加するのであって、敵対するのではありません。モンベルファミリーと出会い、コミュニティの一員であることを常に実感していました。ナイラとフィビーはこのイベントをとても楽しんだので、別のイベントにも参加したいと言ってきました。こうして私たちは、長野の千曲川で4回目のイベントに参加することになりました。ナイラが北海道のSea to Summitにすべて参加したことにとても興奮していたので、フィビーも挑戦したいと言い出しました。日本でたくさんサイクリングした経験から、彼女は挑戦する気満々でした。6歳ですが、彼女は土砂降りの雨の中、長野の高社山を完走しました。私たちは親として付き添いました。無理強いはしませんでしたが、辛くなったら話をしたり、手を握ったり、娘たちのペースについて行ったり、途中でおやつを食べに止まったりして手助けをしました。もちろん、応援してくれるすべての人たちが、娘たちに進み続けるエネルギーを与えてくれました。 

自然と触れ合いながら子供を育てることの具体的なメリットは何でしょうか?

子どもたちが自由に遊び、自由に探検し、自由に間違いを犯し、自由にジャンプし、踊り、登ったとしたらどうなるだろうか?何が変わるだろう?身体を動かし、感覚を刺激し、想像力を育むことで、身体全体と脳が連動します。振動や刺激はニューロンを活性化し、脳に新しい経路と可能性をもたらします。子どもたちは自然を探検することで、完全に生かされるのです。

樹木の力は想像を超えています。樹木のそばにいるだけで、子供の集中力は高まります。でも、私たちの家や学校は反感覚部屋です。感覚を正しく発達させることができないのです。室内にいると、視界は15メートルを超えず、雨を肌で感じることもできず、かすかな物音や鳥のさえずりも聞こえず、自然の中にある繊細な香りも感じられません。

自然のおかげで、子どもたちは自分の身体的、感覚的能力をさらに発見できます。自然環境は、子どもたちの運動能力や体力、持久力、協調性、バランス感覚、身体感覚を発達させるのに役立ちます。また、計算されたリスクを冒すことを学ぶことで、快適ゾーンから抜け出すことを教えます。遊びや危険を冒すことを通して、子どもたちは自分自身を知ります。自分の興味や能力を知り、感情をコントロールする方法を学びます。木登りに挑戦することで、子どもたちはフラストレーションや恐怖心、不安感を克服していきます。

自然は驚きを培い、育みます。自然の中で幼い子供の後をついて歩くと、おそらく遠くまでは歩かないでしょうが、あらゆる物事に目を見張るでしょう。私たちを取り巻く環境に驚くことは贈り物であり、思索への入り口です。それはまた、子供たちに相互のつながりを感じさせますが、これが地球の未来にとって非常に重要なことです。私たちはしばしば、自然界では強いものが勝つと考えますが、種は協力し合っています。樹木の根はコミュニケーションのネットワークを作り、樹木は弱い仲間に栄養を与え、オオカミとワタリガラスは冬の狩りで助け合います。外界と種同士の協力関係はすでに証明されていますが、人類としての私たちの協力はどこにあるのでしょうか。もし子供たち世代が現在と未来の環境問題を解決してくれることを望むなら、彼らは自然との強い関係を築く必要があります。環境は私たちの生存の鍵を握っているのだから、お互いのつながりに基づいた関係が必要です。ナイラとフィビーは、地球とつながって生きることを学びました。水を与えてくれる川に感謝します。暖めてくれる太陽に感謝し、背中を押してくれる風に感謝し、木陰を提供してくれる木に感謝します。そしてこのことは、彼らが生命を信頼する助けとなります。

あなたはお子さんをどのように教育していますか?ホームスクーリング?特定のカリキュラムに従っていますか?

家族として、私たちはナイラとフィビーの成長のペースに従うことを選び、娘たちの驚きや限りない学習意欲を育むことにしました。毎日、いつでも、どんな年齢でも学ぶのだと教えています。自然の中で生活することで、自然は私たちにとって最大の教師のひとつとなります。そして学びは実験を通してもたらされます。オオカミやクマの視線に出会うことは、その世界を発見して理解し、その行動を明らかにするための招待です。砂漠を横断し、その広大な空間と猛暑を体で体験することで、子供たちは水の不足を理解します。同様に、ナイラとフィビーは高地での生活、極北での生活、ジャングルの真ん中での生活を経験して、シェルターの作り方、水の濾過の仕方、植物による治療の仕方を知っています。旅をしたから地理を知っています。寺院、モスク、神社、教会で祈りを捧げた経験があるため、宗教とは何かを知っています。先住民の伝説や、国家や文明の過去から歴史を学びます。出会った人々と話すことで言語を学びます。世界中のコミュニティと暮らすことで、別のあり方や考え方を発見します。

実験だけでなく、私たちはナイラとフィビーの興味に応じてプロジェクトによる学習も選んでいます。教科を分けるのではなく、一緒にするのです。ある日、ナイラが万里の長城について学びました。彼女は万里の長城の絵を描き、漢字の書き方や発音を学び、それから情報を読み、彼女にとって重要だと思われることを選び、学んだことを10個の異なる観点から書き出し、万里の長城の表面積を計算して算数の勉強をし、最後に祖父母に自分のプロジェクトを口頭で発表しました。

出会った人々は、数日間の先生にもなります。ケベックで海洋生物学者に出会いました。3日間、この情熱的な科学者の逸話や知識を通してクジラについて学びました。ホエールウォッチングをしたり、クジラの骨を運んだり、彼の研究から学んだりもしました。このような出会いは、ナイラとフィビーに貴重な教えを与えるだけでなく、異なるライフスタイルへの扉を開いてくれます。

移動のしやすさに違いはありましたか?例えば、道が良くなったとか、ナビゲーションツールが充実したとか、停車できるスペースが増えたとか。  また、健康面でも変化を感じましたか?

2010年に出発したとき、最初の3年間は携帯電話を持っていませんでしたので、紙の地図しか使いませんでした。ナイラが生後5ヶ月のときに一緒に旅立ったので、携帯電話を持つことにしました。もちろん、ナビゲーションはずっと簡単になったし、サイクリングするための小さな道を見つけることもできるようになりました。でも、正確な地図がない時代も楽しかった。よく立ち止まって地元の人に道を尋ねなければならなかったからです。それによって人々との素晴らしいつながりが生まれました。ネットワークが使える場所も増えました。ゴビ砂漠の真ん中でも携帯電話の電波は届いていました。緊急の場合、これは大きな違いを生みます。トルコでは、インターネットにアクセスしたり、両親に電話したりするために、インターネット・カフェに行かなければならなかったことを思い出します。今は、友達とのつながりがずっと簡単になりました。また、ビデオ通話を使って、ナイラとフィビーは祖父母やいとこに会うことができ、親族のつながりを育むのに役立っています。会ったことのある人と連絡を取り合うのも簡単になりました。シリアやタジキスタンで出会った人たちの手書きの住所はまだ持っています。今ではメールやソーシャルメディアによって、より多くの人と連絡を取り合うことができます。インスタント翻訳も、異なる言語のラベルを読んだり、ナビゲートしたりするのに役立っています。

健康に関しては、ほとんどの病院や施設は改善されましたが、医療へのアクセスは本当に国によって異なります。病院は時に過密で、緊急事態に対応するのに何時間もかかることもあります。

もちろん、テクノロジーは多くの側面を変えました。今は多くの国でカードで支払いができますが、現地の通貨を知らないと気づくこともあります。私は国境で両替したり、現地の市場で紙幣で支払ったり、硬貨を数えたりするのが好きでした。世界は似通ってきたという感覚が強くなっています。同じ土産物が手に入り、人々は同じ服を着て、同じ食べ物がどこでも手に入ります。たとえ私たちの生活が便利になったとしても、その違いの一部や独自性は失われてしまいます。同じように、人里離れた場所で携帯電話の電波が届くようになると、大自然はその魅力を少し失います。世界はますます管理されています。だからこそ、私たちは極北とその手つかずの自然が好きなのだと思います。

6-一家の世界が垣間見えるかも?:パッシュ―・ファミリーの旅路の山あり谷あり

この5ヶ月間、パッシュ一家は一連のインタビューで、彼らの生き方や哲学、自然の中で過ごすことの大切さなどについて話してくれました。2010年から続く彼らの旅が周囲の世界に対する彼ら自身の見方や、コミュニティ、自然、時間、文化などとのつながりにどのような影響を与えたかを知ることができました。6回目となる今回のインタビューでは、旅の良いところや悪いところ、旅先での諍いへの対処法など、より個人的な思い出を語ってもらいました。

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ご家族それぞれにとって、個人的に本当に素晴らしかった思い出はありますか?

「ねぶた祭り」とフィビーが答えて、青森で最も有名な祭りの伝統的な掛け声を歌い踊り始めました。「子どもたちが太鼓を叩く姿や、色とりどりの灯りを見るのが大好きだったの」。フィビーは次に、山形県の月山の頂上までハイキングしたことを話し出しました。その場所の素晴らしさだけでなく、千匹のトンボがクルクル回っていたからです。辰野さんがトンボの捕まえ方を教えてくれたので、彼女はとても喜んでいました。指を空に向けるだけで、トンボがゆっくりとその指に止まるのです!「大きなトンボはすごかった!」と彼女は興奮気味に付け加えました。日本以外では、ケベック州でメープル・シロップを作った時のことを思い出しました。まだ雪が残っているうちに木から樹液を採取し、メープルシロップやメープルバターができるまで温めることを学びました!彼女はすべての工程を楽しんでいました。

ナイラは新潟県の寺泊町でスタンド・アップ・パドル(SUP)に挑戦してとても楽しみました。「始めたときは波が大きかった。でも、波をパドルで掻き分けて進むのはとても楽しかった。何度も海に落ちたけど、海はとても暖かかったです」と彼女は絶賛しました。また、カナダ北部のユーコンで地元の風習を楽しみました。「マイナス30℃で犬ぞりをして、とても寒かったけれど、犬に引っ張られる感覚が好きだったわ。そこではホッケーもした!チームの一員であることをとても楽しんだわ」と満面の笑みでナイラが言います。

「ある日、私たちはベルーガを呼ぶダンスをしました。ケベックのセント・ローレンス川のそばでしたが、そこはとても広く、まるで海のようで、向こう岸を見ることもできないくらいでした。その後、サイクリングを続け、岩場にたどり着きました。そこで、みんなでお茶を楽しみました。家族がひとつになり、ただその瞬間に一緒にいて、笑い、遊ぶ、そんな時間が私は大好きです。数時間後、私たちは次々と息継ぎを見て、突然ベルーガを見ることができました!信じられませんでした!ベルーガを見る機会が来るなんて信じられなかった!」とセリーヌは話します。

「オーストラリアのヌラーバー砂漠を横断しましたが、とても小さな2つの町を結ぶ1,200キロの間にガソリンスタンドは7つだけでした。あの過酷で乾燥した土地に身を置き、次の給水ポイントにたどり着かなければならないのは非常に厳しいものでした。最大60リットルの水を運ばなければならなかったのです!熱波がやってきて、気温は上がり続け、53℃に達しました。幸運なことに、そして思いがけないことに、その日、私たちは海にたどり着くことができ、疲れ切った体を水に浸すことができました。ホッとしましたよ」とグザヴィエは語ります。

ご家族それぞれが、本当に怖かった思い出を話してくれますか?

「パパが意識を失いかけて倒れた日は本当に怖かった!ペパーミントのエッセンシャルオイルの小瓶をパパの鼻の下にあてて、目を覚まさせていました」とナイラが言います。その日、グザヴィエは自転車を修理していました。カナダにいる時でしたが、必要な道具をすべて持っていなかったので、彼は木片を使いました。それを滑らせているうちに、爪のすぐ下の指に5本の長いトゲが刺さったんです。それを引き抜いたとき、彼は気を失いました。

「ポーランドでテントの中で寝ていたら、突然、大きな音がして目が覚めたの!怖くて泣き出したら、ママは私を抱きかかえて、パパは大きな雷が数メートル先の川に落ちたんだと教えてくれた。それからみんなで嵐と風の音を聞いていたけど、テントがすごく動いていたの!」とフィビーは言います。

「タジキスタンにいた時、私たちはパミール山脈の岩と砂の世界で標高4,000メートルを超える場所を2週間かけてサイクリングしていました。非常に不正確な紙の地図しか持っていなくて、地図に青い線で示されていた川にもうすぐ着く予定でした。一日の終わりにその場所に着くと、川はありましたが、川底が見えていて、水は一滴もなかったのです。いつ、どこで水を見つけられるのだろう?と思いましたが、次に小川を見つけたのは、さらに40キロ走った翌日でした。とてもストレスが溜まりました」とセリーヌは語ります。

「まだ子供がいなかった頃、冬のシベリアをサイクリングしていました。気温はマイナス30度でした。突然、チェーンが切れたんです!暗くなってきて、まだ次の村まで行かなければなりませんでした。手袋を外して、凍りつくような金属に触れなければならなくて、指がおかしくなりました。でも、凍傷にならないように素早くやらなければならなかったんです。一時はもう修理できないんじゃないかと本気で思ったくらいだったよ!」とグザビエは言います。

旅の途中の揉め事にはどう対処していますか?

この生活を送るためには、みんなの協力が必要です。だから、私たちの誰かが調子が悪かったり、怒ったり悲しんだりしていると、すぐに問題になってしまいます。緊張は、私たちが経験すること、毎日外にいることの厳しさ、新しい文化との遭遇から来るだけでなく、24時間365日一緒にいることから起こることもあります。だから、私たちはコミュニケーションの取り方を学ばなければなりませんでした。私たちは非暴力コミュニケーションをツールとして使い、自分の感情やニーズに名前をつけることを学びました。また、ナイラとフィビーが自分の感情やニーズに触れられるように、感情の輪も使っています。問題を解決したり、家族のルールを作ったり、次の目的地やプロジェクトを選んだりするために、毎週シェアリング・サークルを開いています。シェアリング・サークルでは、発言権を与えるトーキング・スティックを使い、みんなの話を聞くようにしています。

お気に入りの本や道具は何ですか?

ナイラは読書が大好きで、今はオクサ・ポロックを読んでいますが、ページをめくる手が止まりません!フィビーは動物カードが大好きです。ゲームをしたり、物語を話したり、メッセージを受け取ったり、瞑想したりと、いろいろな使い方ができます。グザヴィエは再利用可能なコーヒーフィルターがお気に入りです!そしてセリーヌは、感情のバランスと健康を整えるためにエッセンシャルオイルを楽しんでいます。

各メンバーが一日の中で一番好きな瞬間とその理由を教えてください。

「日の出とともに目を覚まし、自然の中でコーヒーを飲むとき。この穏やかで静かな一人の時間が大好きです。」とすぐグザヴィエがこたえます。「私の一番好きな時間は、野生の動物を見て、観察しているときです!」とナイラが言います。「私はいつも動物とコミュニケーションを取ろうとしているの。」「自転車をこいでいない時はいつも、木に登るのが大好きなんだ!何時間でも木の上にいて、枝に座って物語を作ることができるわ」とフィビーは言います。「自転車に乗るたびに味わう自由な感覚が好き」とセリーヌが話します。

この旅で一番好きだったことと、一番嫌いだったことをそれぞれ教えてください。

「文化的な誤解は、時として扱いにくいものです。バングラデシュやインド、中国の人たちに囲まれたときのことも覚えていますが、食事をしているときでさえ、100人の人にずっと見つめられているのは本当に辛いです。最も素晴らしいのは、人々と出会い、文化の違いを超えて、感情、人生経験、知恵を共有する人間に出会えたと感じることです」とセリーヌは話します。

「交通量の多い道路を自転車で走るのは本当に怖い。いつも避けようとするけど、できないこともある」とグザヴィエが答えます。「珍しい場所や不思議な場所でキャンプするのが大好きなんだ。砂漠から北極圏のツンドラまで、都市から荒野まで、ジャングルから高山の峠まで、何千もの素晴らしい場所でテントを張ってきたんだ」。

「川や湖、海で水浴びをするのが大好き!」とフィビーは言います。「でも、大きな峠を上るのは好きじゃない!歩かなくちゃいけないし、自転車を押すのも手伝わなくちゃいけないから」。

「強い向かい風は本当に苦手!とても走りにくい!すごく好きなのは、夜に星を眺めること!」とナイラが答えます。

5-全持ち物は200kg以下というノマド生活を続けるパッシュファミリーの身軽な暮らしの秘訣とは

セリーヌとグザヴィエ・パッシュは13年前から自転車で世界中を旅しています。これまでの4回のインタビューでは、恐怖に直面することから、新しい出会いや人々に対してよりオープンになることまで、旅が彼らに与えた深い影響について掘り下げてきました。国から国へ移動する彼らの旅は、自らを取り巻く世界への見方や、自然、時間、文化などとの関わり方に影響を与え、彼らに新しい視点をもたらしました。その一方で、自転車だけを利用する旅は持ち物の面などで制約もあります。第5回目のインタビューでは定住しないノマドな生き方とは何かを見つめるとともに、日本での身軽な旅の体験談をお届けします!

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自転車で移動するわけですから、自転車に積めるものしか持っていけません。荷造りは大変でしょう?

自転車に我が家を積んでいるのです。これが私たちの所有するすべてで、たった200kgしかありません。自転車4台とトレーラー1台も含めてこの重さです。残りの装備は、夜間にマイナス10℃まで気温が下がることもある荒野で自律的に行動するために必要なものです。寝室には自動で膨らむマットレスとテント。リビングルームには防水シートとハンモック、キッチンには燃料ストーブ、圧力鍋、浄水器、再利用可能なコーヒーフィルター、折りたたみ式の箸があります。この200キロの中にはナイラとフィビーに必要なものもすべて入っています。勉強するための本、鉛筆、絵の具、ダンスが好きなのでチュチュなど。また、プロ用の写真機材やビデオ機材、そしてもちろんパソコンも入っています。そのほか、個人のケア用品や非常用品もあります。すべてのものには目的があり、荷物の中で決まった場所があります。この旅は私たちの人生であり、ほんの数週間や数ヶ月の旅行ではないので、荷物を極力減らして、バランスを取らなければなりませんでした。私たちにとって、より少ないことはより多いことなのです。

さらに、食料と水の重さが加わります。アラスカの荒野では通常6日から10日分の食料を携行しなければなりませんでした。トルクメニスタンでは気温46℃の砂漠を自転車で横断するため、1人当たり1日に最高8リットルの水を飲んでいました。オーストラリアでは60リットルの水を3日間運んだので、自転車に60kgの重量が加わりました。

子どもたちにも、自分にとって必要なものを選ぶように教えています。ぬいぐるみやテディベアをたくさんもらいますが、一緒に旅ができるのは8つだけです。だから、ナイラとフィビーは選択すること、分かち合うこと、自分たちがもらったものやもう必要ないものを他の子どもたちにあげることを学びました。おもちゃについては、雨の日に備えて少し持っているくらいですが、ほとんどの場合、ナイラとフィビーは枝や石を使って驚くような遊びを作り出します。自然は二人にたくさんの遊び道具を与えてくれます!

娘さんたちが生まれたとき、物質的に身軽になって必要なものだけを持たなければならなかったと以前おっしゃっていました。その必需品とは何ですか?特に日本に関して、絶対に持っていなければならないものは何でしたか?来日の際に忘れた物は何かありますか?

ナイラとフィビーがそれぞれ生後5ヶ月のとき、私たちは再び旅に出ました。私たちは本当に選択を迫られ、当時赤ちゃんだった娘たちに必要なものだけを持たなければなりませんでした。例えば、私たちは排泄コミュニケーション法に従うと決めたので、子供たちはほとんどおむつなしで過ごし、トレーラーの後ろで乾かせる洗濯可能なおむつを4枚だけ持っていました。そして、二人とも3年間母乳で育てることにしました。哺乳瓶もおしゃぶりも使いませんでした。でも圧力鍋は持っていました。これで毎日新鮮な果物や野菜のピューレを作ることができました。

私たちの必需品は自転車で走る地域によって変わります。アラスカでは、熊の出没する地域を何カ月も横断するため、テントを2つ持たなければなりませんでした。1つは食事用で、暴風雪や雨、時には蚊から身を守るためのものでした。食べ物の匂いがしないもうひとつのテントは寝るのに使いました。日本では、大雨からテントを守り、シェルターとなる防水シートを持っています。

ナイラとフィビーの遊びも成長とともに変わっています。おもちゃは木のブロックから始まり、今はパズルを持っています。梅雨の時期にサイクリングをしているので、防水性のあるジャケット、パンツ、靴を持っています。夏は暑いので、速乾性のある薄手のシャツも用意しました。秋にも走るので、防寒着やダウンジャケットも持ってきました。川や湖、海に入れるように水着も用意しました。道中で行うトークイベントのために、パソコンとアダプター、スピーカー、オーディオレコーダーなど、特別な機材も用意しました。

家族それぞれが本当に大切にしている身の回りのものを1つずつ挙げてください。必ず持っていくものは?

「カメラ!僕が夢中になれるものだし、仕事でもある」これがグザヴィエの答え。ナイラは自分の小さな図書館の話をしましたが、これは本がたくさん入っている荷物入れの一つをそう呼んでいるものです。「フロコン、私のシロクマ、それと、他のテディベアの友達」とフィビーは言っていました。あの子はこのクマたちと遊んで、物語を作ったり冒険をしたりするのが大好きです。「そして私、セリーヌにとっては、エッセンシャルオイル。自然な癒しの方法として使うだけでなく、感情のバランスを保つためにも使っています」

食料はどのように管理していますか?地元で買っていますか?調理方法は?

食料を買うのは地元の市場、できれば農家から直接、あるいはスーパーです。料理をするための燃料ストーブを持っていて、燃料はガソリンスタンドで補給します。たとえモンゴルやタジキスタンの辺鄙な村でも、どこでも燃料はありますから、このストーブはとても便利です。それに、高地でも気温がマイナスでも問題なく使えます。ガスではそうはいきません。圧力鍋を使えば、わずかな水だけでジャガイモやニンジンを10分で調理できますし、炊飯器としても使えます。

私たちは普段、まるで家にいるかのように、美味しくて健康的な食事を用意しています。私たちの身体は毎日大変な努力をしていますから、これは大切なことです。最後に食べたのは、ご飯、味噌、納豆、梅干し、野菜炒め、サラダでした。旅する国に合わせて食生活も変えて、その土地の食べ物を試したり、その土地の料理に合わせて食事を準備したりします。

以前、バッテリーを充電するための太陽電池パネルについて言及されていましたが、その仕組みについて説明していただけますか?日本には十分な太陽光はありますか?暑さは機材に影響しますか?

太陽電池パネルを太陽光に当てるだけでバッテリーが充電されます。もちろん日本には十分な日照があります。確かに湿気や暑さによって太陽電池パネルの効果は多少落ちますが、私たちが使う分には影響は限定的です。雨が降ると太陽エネルギーを使えないので、時速6キロから電子機器を充電できる発電機も備えています。どのみち私たちは自転車で走るので、日中の発電にも役立ちます。

家に住むことで、一番恋しいことは何ですか?

庭が恋しい!というわけで、自転車でもやしを育てることにしたら、とてもうまくいきました!自家製の新鮮な野菜を手に入れました!

時々、プライバシーを守れる安全な場所が欲しいと思うことがあります。先日、北海道で山部のキャンプ場に到着したとき、熊が出てキャンプ場が閉鎖されていたので、引き返してさらに10キロサイクリングを続けなければなりませんでした!あの夜、走り続けるにはかなりのエネルギーが必要でした。いたるところで思いがけないことが起こります!

私たちは毎日24時間一緒にいます。これは私たちにとってとても大切なことで、特に子供たちと一緒に過ごすことはかけがえのないものです。同時に、何より難しいことでもあります!緊張が走ったとき、一人になれる安全な場所があればいいのにと願います。土砂降りの雨の中でもなく、息苦しい暑さの中でもなく、質問攻めにされるわけでもなく。

健康管理はどうしていますか?救急箱が必需品ではないですか?

もちろん救急箱は必需品ですが、まず私たちは緊急時のための医療訓練を受け、医師と協力して時間をかけて個人用の救急箱を作りました。何の医療支援も得られない荒野にいるときなどは、必要ならスイスの救急医に直接連絡することもできます。

でも実際には、エッセンシャルオイルやホメオパシー、エネルギーヒーリング、ストーンセラピー、指圧といった代替医療や自然治癒力を高める方法しか使っていません。

すでに13年間旅を続けていますが、自転車の旅で遭遇した失敗や困難があれば教えてください。

エピソードはたくさんあります。中国で紫禁城から連れ出されたこと、シベリアの荒野の-30℃の中でチェーンが切れたこと、アスファルトがまだ乾いていないと路上でグザヴィエが感じたこと、モンゴルで真夜中に酔っ払いが訪ねてきたこと。でも、こうしたショッキングな体験は私たちの出会いのごく一部にすぎません。私たちはどの国でも多くの人に歓迎され、助けてもらいました。

天候など、極端な状況から困難が生じることがあります。自転車の旅は季節的な困難から逃れられるほど早くありません。雨季、冬の寒さ、夏の暑さを経験しないといけません!場所の点では、人里離れた場所でのサイクリングは本当に難しいですが、人に囲まれるのも大変です。バングラデシュにいたときは、私たちの周りに常に70人もの人がいました。止まるたびに人だかりができ、1メートルに満たない距離まで近づいてきました。息苦しかったし、放っておいてもらえる時間は1分もありませんでした。

数週間前、トレーラーのタイヤに問題が発生しました。12インチのモデルなので、日本では注文しない限り、ほとんど手に入りません。テープを貼るしかありませんでした。そしたら中のチューブが破裂したんです。スペアタイヤはすべて使い切った後でした。そこで、グザヴィエは20インチのチューブを取り出して、タイヤの中に二重にして入れました。新しいタイヤが届くまで、それで何とかなりました。時にはとてもクリエイティブになる必要があるんです。

将来どこかに定住することは考えますか?

今のところ、私たちはこの人生を幸せだと感じ、バランスがとれています。いつか私たちのどちらかが別の何かを必要とする日が来たら、新しい人生を創り出すでしょう。私たちが思い描き、家族として創造する人生に限界はありません。娘たちは実験しながら学んでいます。本を読むのではなく、体験することで学ぶのです。例えば、娘たちは宗教について本を読むのではなく、実際に体験しているのです。モスクに入って祈り、教会に行き、道教のお寺に行き、日本では仏教のお寺や神社で祈るのです。

4-ペダルを漕いで文化を越える:絆の旅

前回のセリーヌとグザヴィエ・パッシュのインタビューでは、彼らの定住しない生活が「時間」に対する概念をどのように変えたかを明らかにしました。4回目となる今回のインタビューでは、彼らが出会うコミュニティとどのように関わっているかに焦点を当てます。また、絶え間なく変わる文化の中でどのように生き、人々や友人とどのように交流しているのかについても触れていきます。

以下にご覧ください

2010年、自転車でスイスを出発したとき、道中のコミュニティとのつながりをどのように想像していましたか?新しい人々と出会い、異文化に浸ることをどう感じていましたか?

人との出会いは、常に私たちの定住しないライフスタイルの中核を成しています。2010年に旅立った時、人と人間性を信じようと決めました。これは私たちにとって本当に重要なことでした。どの国に行っても自転車に鍵をかけないことにしたのもそのためです。屋台の前でも、路上でも、大きなスーパーの駐車場でも、人間性を信じて置いておきます。盗難にあったことは一度もありません。実は、バングラデシュの首都ダッカの雑踏の中で小さな荷物をなくしたことがありますが、誰かがそれを拾って、交通量の多い騒がしい場所だったにもかかわらず、笑顔で私たちに返してくれたのです。
自転車での旅は、ある場所に留まって地元の人々と交流する格好の理由になります。イランにいたある日、私たちは小さな村に近づいていました。その村は質素な雰囲気で、私たちが到着すると、すべての人が私たちに向かって、もの問いたげな、怪訝な顔をしました。留まるのにふさわしいとは思えなかったので、自転車でなければ、そこに立ち寄ることはなかったでしょう。それでも私たちは水が必要でした。「水?井戸に案内しましょう」と女性が答えると、すぐに皆の顔つきが変わり、私たちが留まる理由ができました。水を汲むのに必要な10分間は、扉を開き、つながりを生み出すのに十分でした。この数分で、チャドルを着た女性たちや畑から来た男性たちと分かち合う時間が生まれました。そして私たちとの溝が埋まると、村人たちは私たちをお茶に誘ってくれました。世界の文化を発見するために旅立ったのに、実際には信じられないくらい素晴らしい人間、教師、友人に出会ったと感じることがあります。

あなたは人間性を信じることを選んだわけですが、出会った人々とどのようにコミュニケーションをとっているのか教えていただけますか?

私は人類学者です。だから、文化について学ぶのが大好きだし、人々がどのようにして社会として共に生きていくためのさまざまな方法を作り上げてきたのかを学ぶのも好きです。私にとって文化とは、現実を照らす光のようなものです。新しい文化に出会う時、私たちは別の光のスイッチを入れ、新しい視点を発見し、同じ現実に対する新しい取り組み方を見い出します。2010年に、私たちは文化を知ろうと決めましたが、これが、私たちが常に現地の言葉を学ぼうとする理由でもあります。トルコ語を学ぶのは簡単でした。誰もが「チャイ!チャイ!」と叫んで私たちをお茶に招いてくれました。時には、この貴重なお茶を飲むために1日に10回も足を止めることもありました。学んだトルコ語は、ほぼ1年間、中央アジア中で使ってみることができました。その昔、オスマン帝国はシベリアまで到達していたのですから、言語のルーツは同じです。住民は私たちを理解することができました。中国西部の少数民族とも意思疎通ができました。あるウイグル人の男性は、私たちが彼の方言で話し始めると、目に涙を浮かべていました。彼にとって、それはとても意味のあることだったのです。
言葉は決して問題ではないと信じています。コミュニケーションをとる方法は必ずあります。特に子供たちは、互いに手を取り合い、遊びに行きます。ナイラとフィビーは、日本の子供たちと何度もこのような経験をしました。日本の子供たちと触れ合うのは本当に簡単なようです。今、娘たちは日本語を学んでいます。出会う人たちから学んでいて、ひらがなやカタカナも練習しています。娘たちはすでにフランス語と英語に堪能で、中国語、ドイツ語、ロシア語、ポーランド語も少し知っています。

これまで多くの家庭を訪ねて、信じられないようなもてなしを受けたようですね。日本での経験は?

日本ではとても歓迎してもらえます。新潟県では、長岡のワールドカフェで講演を行いました。そこで、中国のタクラマカン砂漠を含む多くの砂漠をラクダで横断した羽賀さんに会いました!私たちはお互いの経験を比較し、文化の違いについて夢中で話し合いました。羽賀さんのおかげで、私たちは多くの新しいつながりを持つことができました。彼の親しい友人である井口さんが私たちを自宅に呼んでくれたので、彼の家族と一緒に焼きそばを食べたり花火で遊んだりして、お祭りのような夜を楽しみました。さらに、彼は50キロほど離れたところに住む友人たちに連絡を取り、私たちが新しい家族と出会い、土砂降りの雨の中でキャンプをする代わりに、暖かい家の中で一夜を過ごすことができるようにしてくれました。こんなに親切にしてもらえて、私たちはとても感謝していますし、そのおかげで日本文化に深く入り込み、新しい人々と出会うことができました。羽賀さんからは感動的なメッセージもいただきました。

「寺泊のメンバーは、あなたたちとの交流を通して大きく成長しました。彼らの価値観が良い方向に変わったようです。彼らの成長をとても嬉しく思います。」 羽賀さん

たまたま私たちの通る道にいた人たちは、その人たちにとって、そして私たちにとって、何かの理由があってそこにいたのだと考えています。彼らは時に私たちにインスピレーションを与え、自分たちでは想像もしなかったような形で私たちを助け、運命を変えることさえできます。先日、私たちは2回目のモンベル「SEA TO SUMMIT(シー トゥー サミット)」で、再生の霊峰である月山の頂上に立ちましたが、頂上まで一緒にカヤック、サイクリング、ハイキングをしながら、ひとつの大きな家族の一員であると感じました。とても盛大だと聞いている東北の夏祭りにも招待されました。日本の祭りはいつも楽しいです。ナイラが3歳のとき、竹のレールを流れてくる流しそうめんを箸ですくい取ろうとしていたのを憶えていますが、あの子はあれがとても気に入っていました。

竹のレールを流れてくる流しそうめんを箸ですくい取ろうとしていたのを憶えていますが、

あなたたちは定住せず、1つの場所に長く留まることはありませんが、このようなライフスタイルでも、友情や絆を築くことができるのですか?

私たちの冒険人生は、人々が自分の人生だけでなく、夢や恐れを分かち合うための招待状のようなものです。日常生活や仕事についての会話から、深い関心事や、人々にとって最も重要なこと、彼らの人生の非常に感情的な部分へと、すぐに切り替わります。なぜか深いつながりが生まれるのです。もしかしたら、私たちが彼らの属するコミュニティに属していないからかもしれませんが、そこはわかりません。いずれにせよ、素晴らしい友情が生まれます。今日、私たちは本当に世界市民であるという実感を持っています。私たちは様々な場所や国にいる友人たちと強い絆で結ばれています。そして私たちのルーツは、今や私たちの一部なのだという実感があります。場所や文化に縛られる必要はないのです。ナイラとフィビーはいつもこう言って笑います。「私たちはスイスのパスポートを持っていて、マレーシアで生まれ、時々カナダ人だと感じ、日本を愛しています。」あの子たちは本当に、さまざまな理由で多くの場所に特別なつながりをもっているのです。

あなたのライフスタイルは、娘さんたちが新しく出会った人々に心を開く上でどのような影響を与えていますか?そのおかげで娘さんたちがよりオープンマインドで好奇心旺盛になったと思いますか?

ナイラとフィビーは、友達が自分たちと同年代とは思っていません。それどころか、赤ちゃんの友達もいれば、ポーランドのマリアのように83歳の友達もいます!娘たちは多くの人々と出会い、交流し、彼らの情熱、宗教、文化、優しさから多くのことを学びました。今でもメールや手紙、ボイスメッセージで連絡を取り合っているし、時には電話をすることもあります。娘たちにとって、そして私たちにとっても、こうした友情を維持することは本当に大切なことです。旅の途中で出会った友人たちと、別の国で再会することさえあります!私たちは、ナイラとフィビーが新しい考えやあり方に対してとてもオープンだと感じています。娘たちは肩書きや年齢、仕事ではなく、その人となりによって人と出会います。社会的地位や見た目ではなく、その人らしさを見て、ありのままのその人に会おうとします。文化の違いを超える架け橋と友情を築くのです。私たち人類は、このように壁ではなく橋を架けることで、世界につながりをもたらすことができるのかもしれません。

3-時間との関わりとスローライフ

前回のセリーヌとグザヴィエ・パッシュのインタビューでは、スローな旅について、そして彼らが自転車で旅をすることの具体的な意味について話してもらいました。3回目となる今回のインタビューでは、彼らの定住しないライフスタイルとスローな旅の方法が、「時間」という概念との関わり方にどのような影響を与えたかに焦点を当てます。

以下にご覧ください

お二人は2010年に従来の9時から5時までの仕事をやめ、冒険の旅に出ました。この定住しない生活によって、時間の使い方をより自由にコントロールできるようになりましたか?

2010年以来、私たちにとって時間は以前と同じではありません。時間が延びたとさえ言えます。「時間が過ぎるのがとても早い」と人が言うとき、「私にとっては違う」と答えます。まず、私たちは目覚まし時計をセットせず、最初の太陽の光で目を覚まします。そして、太陽と季節の周期に従います。ここ数週間、日本では午前4時半に起床しています。夏は暑いので、7時に出発し、朝食前に10キロほど走るようにしています。それから2時間ほど昼食休憩をとりますので、調理もできます。午後5時までにはキャンプを張るようにしています。冬は暗くて寒いので、寝る時間を長くします。私たちは通常、1日に50kmほどサイクリングします。そのおかげで、おいしい食事を用意したり、人に会ったり、道中にある名所やモニュメント、自然の驚異を訪れたり発見したりする時間が持てるのです。とはいえ、もちろん、そう決めているわけではありません。私たちが1日に移動した最短距離はわずか3キロでしたが、それはカナダで、湖のほとりに素晴らしい場所を見つけ、あまりの美しさに立ち去りがたいということで、娘たちがそう決めました。

いつも時間がたっぷりあるということですか?

いや、そんなことはありません。例えばビザの関係などで、私たちには常に時間の制約があります。トルクメニスタンでは、42℃の砂漠を500km横断するのに5日間のトランジットビザしかもらえませんでした。熱射病になる寸前で頭がズキズキしていたのを今でも覚えています。1人1日8リットルの水を飲んでいました。中国では上海からカザフスタンに渡るのに3ヶ月のビザをもらいました。ここでは6カ月あります。だから、日本の自然と文化にゆっくり浸る時間があります。私たちはほとんどノマド(遊牧民)で、ほぼ毎日移動しています。日本では講演を30回行う予定があり、目的地が決まっているので、1日に何キロを自転車で移動するかというペースを決めることができ、休息したり町や都市を見たりする時間が確保できます。鳥取県から石川県までサイクリングしたときは、すべての峠を登らなければならなかったので、集中してサイクリングしなければいけない日が続き、5~6時間は自転車に乗っていました。私たちは通常、招待された都市に1日か2日滞在するようにしています。体を休める必要があるし、ナイラとフィビーは勉強する時間が必要だからです。旅の途中で突然隠れた宝石を発見したときが、最も素晴らしい思い出として心に残ることが多いです。それから、人々と過ごした時間が最も大切な瞬間です。昨日の夜、山形県長井市の地元の人たちが私たちのキャンプ地に挨拶に来てくれました。馬刺しやもち米、畑で採れた野菜など、ごちそうを持ってきてくれたのです。私たちは地面にマットを敷いて座り、一緒に食事をしました。彼らはほとんど英語を話さなかったのですが、私たちはお互いに理解し合い、笑い、日本語を学ぼうとし、そして彼らとつながりました。このようなときこそ、現地の人々からその地域や文化について学ぶときでもあります。例えば、私たちは地元の方言で「ありがとう」の言い方を学びました。

ご自身の生活を表現するために「制限のないスローライフ」とよく口にされていますが、それはどういう意味ですか?

私たちにとってスローライフとは、生活がゆっくりしているという意味ではありません。むしろ、私たちの生き方は非常に密度の濃いものになりえます。自分たちにとって大切なものを中心に置き、それに対して感謝の気持ちを持つということです。例えば、私たちはスローな子育てを選択し、子供たちと一緒にいるための時間を取ります。私たちは家族で同じ目標に向かって動く真のチームであり、全員の意見が大切だとわかっています。ナイラとフィビーが意思決定に参加するのはそのためです。

あなたの経験は、「時間」という概念の捉え方にどのような影響を与えていますか?

様々な国に移動する中で、私たちは、ほとんどの社会が勢いとスピードを増していることに気づき、とても驚きました。人々はますます忙しくなっています。より多く、より速く、より良くする必要があるようです。そして、それはかなり幼い頃から始まっています。今日では、子供たちはより幼いうちから字を読めるようにならないといけません。就学年齢もより低くなっていて、3歳から義務教育になっている国もあります。
テクノロジーもまた、時間の節約に役立つという信念と結びついて、私たちの社会の中心となっています。でも、本当に時間が増えているでしょうか?日本のような超ハイテク国家でさえ、労働時間が長く、仕事と生活のバランスがほとんど仕事に傾いていることで知られています。私たちの生活にテクノロジーが入り込めば入り込むほど、より多くを生活に取り込むようになり、時間はどんどんなくなっていくようです。私たちが気づかないうちに、時間は私たちの人生の支配者になっているのです。

この時間競争がもたらす影響とは?

今ではますます多くの研究によってストレスが私たちの身体に及ぼす影響が明らかになっています。時間というストレスが、私たちの生活と健康を圧迫しているのです。それは、仕事と生活のバランスや時間に対する認識だけでなく、将来への不安とも関連しています。
時間がないと感じるとき、私たちには一息つく余裕も、新しいアイデアや機会、解決策を受け入れるゆとりもありません。人生には、呼吸し、感じ、つながるための時間とゆとりが必要なのです。
日本では、仕事のプレッシャーや子供たちに与えたいと願う生活水準を考えて、子供を持つことを躊躇している若い夫婦がいるという話を聞いたことがあります。しかし今回、私たちは異なる生き方を選ぶ30代の人たちに出会いました。例えば、田舎や小さな町に引っ越す、古い家を改築する、野菜を栽培する、新しいビジネスを立ち上げる、芸術で生きていく、などです。彼らは大都市のストレスの多い生活から抜け出して、変化を求めることを決めたのです。

どうすれば時間の概念を見直すことができるでしょうか?

私たちは今この瞬間を完全に生きることによって、時間の使い方を変え、時間に別のペースを与えることにしました。私たちは時間に全権を与えることをやめ、自分の選択によって時間を豊かにすることに決めました。私たちは、今いる場所、出会う人々、子供たちとの接し方に、本当の意味で向き合いたいと思っています。私たちは、新しい方法で時間とつながろうと決めたのです。

2-アクティブな移動を通じて土地と触れ合う

セリーヌとグザヴィエ・パッシュは、人力による移動手段を使って世界を探検することに決めました。なぜ彼らは移動手段に自転車を選んだのか?スローな旅は彼らに何をもたらすのか?ジャパンエコトラック公式アンバサダーに選ばれたことはどういう意味を持つのか?彼らのインタビュー第2弾で、そのすべてをご紹介します。

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なぜ自転車で世界を探検しようと思ったのですか?

移動手段として自転車を選んだのは、その土地を本当に体験するためです。自転車なら、いつでもどこでも止まることができます。立ち寄りたい素晴らしい場所をバスの窓越しに眺めて、途中にあるものをすべて逃してしまうのは、いつもとてももどかしかった。だからこそ、この大冒険に出発するとき、私たちは自転車を選んだのです。当時の私たちが知らなかったこと、気づかなかったこと、それは自転車が私たちを本当に異次元の世界へ連れて行ってくれるということです。時間は拡大し、その重要性と影響力を失いました。すべての出会い、すべての出来事、すべての心の状態は、場所とそのエネルギーに結びついています。出来事という外的な要素としてだけでなく、私たちが経験する感情という意味においても、すべての体験は土地に根差しています。自転車で一つの場所に到達することは、単に新しい場所を発見する以上のものであり、私たちが身体で感じることのできるすべての感覚、すべての香り、すべての感情なのです。

すでに88’000kmを自転車で走破していますが、大変ではなかったですか?

私たちが旅してきた道のりを振り返ると、その距離は些細なものに思えます。まるで地球が私たちの遊び場になったかのようです。新しい発見があるたびに、私たちは驚きを感じ、前進し続ける意欲が湧いてきます。恐怖の壁は崩れ去りました。莫大な距離さえも人間のスケールに変換され、私たちは大陸を横断し、このような遍歴の人生を創造することができるのです。

初めて日本に来たのは2012年でした。日出ずる国に行くために、スイスからはるばる自転車を走らせました。冬のモンゴルを横断している間、500キロだけトラックに自転車を積みました。気温はマイナス30度でした。私たちは果てしなく続く、敵対的で不毛な空間を横断していました。セリーヌが目の角膜が凍りつくのを感じた日、彼女は立ち止まって助けを求める時だと悟りました。そこで、フェリーに乗りました。最初は韓国へ、そして釜山から下関へ。こうして私たちは本州にたどり着きました。世界地図を見て、これだけの道のりを自転車で走り、陸路で日本にたどり着いたのだと思うと、気が遠くなりそうでした。それは、何もない敵対的な空間と群衆の興奮をつなぐ道であり、孤独と人間の喧騒の間の移動であり、文化と原野の間の道でした。

2012年、私たちに2匹の鯉のぼりをプレゼントしてくれた家族のことは、今でも忘れられません。鯉のぼりは、日本では4月下旬から5月上旬にかけて、子供たちの健やかな成長を願い、未来に願いを込めて揚げられます。あの時は5月で、「鯉が頑張る勇気をくれるよ」と教えてくれました。その日以来、どの国でも私たちの自転車の後ろには鯉のぼりが泳いでいますし、二人の娘、ナイラとフィビーの自転車にも付いています。なぜかすでに日本とは強い絆で結ばれていたのです。

ゆったりした移動と言いますが、あなたにとって、ゆったりした移動とは具体的に何を意味するのですか?

ゆっくりとした旅とは、その土地を五感で感じ、体験することです。自転車のリズムに合わせたこの旅では、大気、植生、気候、標高、季節、エネルギーの変化を理解することができます。こうして私たちはその土地を本当に体験するのです。一つの空間から次へ、一つの大気から次へ、一つの出会いから次へと、自然の時間の中で暮らします。この時間は呼吸のたびに生まれます。次から次へとモニュメントを見に行く必要はないし、ある地域で訪れるべき場所をすべて知る必要もありません。むしろ、普通はそのようなことはできません。やることが多すぎますし、それ以上に、私たちが発見する場所はすべて物語だからです。その日どう感じたか、天気はどうだったか、周りの匂いはどうだったか、途中で誰に会ったか、何を見たか、その物語なのです。この数週間、鳥取県をサイクリングしていましたが、海沿いの山道を登ったことを思い出しました。きつかったですが、入り江や魅力的な小さな漁村の眺めは素晴らしかったです。峠の頂上では、青々とした草木がジャスミンの花の香りを漂わせていました。訪れた場所をいくつか思い出すと、この花の香りも思い出されます。もちろん、土地を感じるということは、あらゆる天候を経験するということでもあります。台風2号が日本に低気圧をもたらし、大雨、土砂崩れ、高潮などさまざまな警報が発令されたときも、私たちは外にいて、テントの防水性を試しました!水たまりに浮いた状態だったにもかかわらず、私たちは大丈夫でした。そして翌朝、私たちは太陽を歓迎しました。あらゆるものを乾かすためだけでなく、空がとても青かったからです。自然は生き生きとしていて、森の緑はさらに輝いて見えました。

サイクリングのスピードはどのぐらいですか?

もちろん、ゆっくりです。ゆっくりというのは、車で1時間のところが自転車では1~2日かかるということです。私たちは通常、1日に50kmほど走行しています。上り坂に耐え、灼熱の暑さに汗を流し、雨に濡れる時間もあります。しかし、その道中には小さな発見もあります。ここ日本では、ヘビがくねくねと通り過ぎ、私たちが通り過ぎるとサルが隠れました。竹林の中にある神社など、様々な神社をたくさん見ました。ナイラは日本海に浮かぶ小さな島の鳥居に見とれ、フィビーは峠の頂上にある古いお寺で瞑想するのが好きでした。田んぼの手入れをする人々も見かけました。大野では、予想もしていなかったのですが、山の中に突然城が現れました。素晴らしい眺めでした。フィビーにとって初めて見た日本の城だったので、とても興奮していました。

5度目の来日ですが。今回はジャパンエコトラック公式アンバサダーに選ばれました。まず、ジャパンエコトラックとは何ですか?

ジャパンエコトラックは、日本のさまざまな地域をつなぐルートとして、また、その土地の自然のすばらしさを体験する機会を提供するルートとして構想されました。実際、このコースは、ハイキング、サイクリング、カヤックなどのコースが延々と続き、スイス全土を結んでいる「スイス・モビリティ」と関連があります。日本では、本州を人力による移動手段だけで回れる道を開発しようと考えられましたが、このアイデアは、モンベルの創設者である辰野勇氏によるものです。現在、地方自治体が企業やパートナーとともにこのプロジェクトに取り組んでいます。今はまだ無理ですが、将来的にはもっと多くのトレイルが建設され、各県を結ぶようになるはずです。また、このルートは環境にやさしい移動と人力による旅で地域社会を活性化させる方法でもあります。このように、ジャパンエコトラックのルートは、徒歩や自転車、カヌーで日本のさまざまな地域を探索し、活気ある自然だけでなく、名所や自然現象、歴史、地元の人々との交流を発見するための方法です。

ジャパンエコトラック公式アンバサダーになるとは、どういうことですか?

アンバサダーとして、私たちは30カ所のエコトラック地域をサイクリングし、見どころやインフラを訪れ、その良さや体験を味わっています。もちろん、道中で地元の人々と出会い、交流することもあります。私たちの冒険を記事、ウェブサイト、ソーシャルメディア、講演などを通じて共有し、ジャパンエコトラックのルートを通じて日本の自然や文化に触れることの無限の可能性を国内外の人々に知ってもらいたいと考えています。

10歳のナイラ、5歳のフィビーと一緒にジャパンエコトラックを自転車で走ることによって、こうしたトレイルでの多様な可能性を示すこともできます。子供たちを連れて、一緒に屋外で過ごそうという呼びかけになります。

私たちは30ヶ所の町でイベントを開催し、自治体や住民に会い、ジャパンエコトラックでの経験だけでなく、私たちの生活様式や子育ての違いについても話します。さらに、特に子供たちのために、自然の中で過ごすことの重要性を訴えます。メディアを招待することで、ジャパンエコトラックの知名度にも影響します。これらすべてのイベントに参加するためには、自転車を走らせるしかありません。その距離は本州と北海道で約6,000kmに及びます。これはもちろん、移動について違った角度から考えるための手段でもあります。

移動と言えば、このジャパンエコトラックの創設についてどうお考えですか?

ジャパンエコトラックは、アクティブな移動と人力による旅を念頭に置いて作られたものでもあります。私たちにとって、これは本当に重要なことです。今日、負荷が低く、環境にやさしく、アクティブな移動について語る国がますます増えています。これは、モーターを使わない移動手段を使うという考え方です。都市での通勤であったり、買い物であったり、新しい場所を発見するためであったり、日常生活だけでなく、週末や旅先でも実践できます。私たちがアンバサダーに選ばれた理由は、自転車を移動手段として、スローモーションで世界を旅してみようと思ったからです。私たちはすでに4大陸、50カ国、88,000km以上を自転車で走破しました。自転車は、私たちが世界を冒険し、体験する手段なのです。

なぜ人力による旅を推進するのですか?

私たちの旅では、人々に身体を通して土地を体験してもらいます。全力で集中する必要はありません。アクティブな移動、人力による移動は、より持続可能な生活に戻るための方法なのです。公害の観点からだけでなく、スローモーションでその場所を体験すると、より多くのものが見えてくるからです。ある場所に到着して3分で写真を撮り、別の場所を見に行くことは、体験ではなく、アトラクションを消費しているのです。時間に支配され、スケジュールを押し付けられ、瞬時のコミュニケーションに支配されたこの世界において、時間を完全に活用する余地はないのでしょうか。

日本の森林浴やお花見という文化は、もともと同じ考え方につながっています。森を体験し、桜の花を愛でて五感を満たします。

また、心身ともに動かすことで、より創造的かつ生産的になる能力が高まります。1日15分の森林浴は、脳の認知能力を高め、感情のバランスをとるのに役立ちます。アクティブな移動は健康的な生活につながります。それは私たちの身体と心のケアです。自然を守りながら、五感を通して世界を体験するのです。

もちろん、アクティブな移動は驚きを育む方法でもあります。幼い子どもは驚く術を知っています。世界を征服したものとも与えられたものとも考えず、贈り物として受け取るからです。驚きを持って体験することこそがジャパンエコトラックからの贈り物なのかもしれません。スポーツ的な挑戦でもいいし、発見でもいいし、ゆっくりハイキングする日でもいい。大切なのは、驚きを養い、自発性に向き合うことなのです。

 

1-自己紹介インタビュー

今回は一家のご紹介から。あなたもサステイナブルな冒険の旅に出発してみませんか?

以下ご覧ください

グザヴィエさん、セリーヌさん、お二人の冒険の人生について詳しく教えてください。

私たちはスイスの冒険家一家で、過去13年間テントで暮らし、地球の隅々にある大自然の中をサイクリングしています。2010年に夫婦で旅立ち、旅の途中で2人の娘が生まれました。現在、ナイラが9歳、フィビーが5歳です。私たちは地球を探索することを止めず、ずっと旅を続けています。これまで4大陸の88,000kmを自転車で走破してきました。「インフィニット」プロジェクトでは、2つの経路を走破することになりました。ひとつはシベリアの聖地アルタイ山脈、もうひとつはヒマラヤの高峰です。「The Great Northern Spaces(北の広大な自然)」プロジェクトでは、シベリアとモンゴルの奥地、そしてアラスカから大西洋に至る北米、さらに東ヨーロッパを走りました。マイナス45度から53度までの気温、北極圏のツンドラ、砂漠、ジャングル、そして多様な文化を経験しました。

家族をご紹介いただけますか?

グザヴィエは1980年生まれ。建築製図者、編集者、写真家、そして解決策を見つける人です。一家の機械工でもあります。
セリーヌは1982年生まれ。人類学者であり、講演家、作家、山岳指導者でもあります。また、ライフ・コーチであり、一家の医者でもあります。
ナイラは2013年生まれ。彼女はすでに世界の道を5万キロ、自転車で1万キロを走破しています。最初に歩き始めたのはカンボジアのアンコール寺院でした。オーストラリアのヌラーバー砂漠を横断した最初の、そして最年少の子どもでもあります。
フィビーは2017年生まれ。彼女はベビーカーや二人用自転車で25,000kmを走り、自分の自転車で800kmを走破しています。モンゴルのユルトの中で歩くことを覚え、1歳の誕生日には発酵させた雌馬のミルクを飲みました。モンゴルと中国を経由してゴビ砂漠を横断した最初の、そして最年少の子供でもあります。
私たちの2人の娘は大自然の中で育ちました。フィビーはよくこう言います:「テントは私たちの家、世界は私たちの遊び場」。

「Wonders of Nature Japan(日本の自然の驚異)2023」プロジェクトとはどのようなものですか?

ジャパンエコトラック公式アンバサダーとして、人力の移動手段によって、日本の豊かで多様な自然を大人にも子供たちにも体験してもらいます。6ヶ月間、本州と北海道で6,000kmのサイクリングを行います。その間に、モンベル「SEA TO SUMMIT(シー トゥー サミット)」に3回参加し、3つの環境シンポジウムに登壇し、皆さんの刺激となるような講演を約30回行う予定です。私たちの生き方について、そして旅程についての詳細や地図はこちらのリンクをご覧ください:https://www.ylia.ch/talk-1/talk.html#Japan2023 
また、自然の中に身を置くことの重要性についても取り上げます。子どもたちの感覚や身体、自尊心を育み、創造性や驚きを養うとともに、地球の幸福に資するためにも、子どもたちがこれまで以上に自然と共に過ごし、そのつながりを再認識する必要があるのです。私たちは環境問題に直面しています。子どもたちと自然とのつながりは、彼らが明日の解決策を見出すための鍵になるでしょう。同時に、ほぼすべての社会で子どもたちに自然欠乏症の影響があることを示す科学的研究がますます増えている今日においても、このつながりは極めて重要なのです。
Wonders of Nature Japan(日本の自然の驚異)2023」は、私たちの未来のために、親が子供と自然の中で時間を過ごすよう促すべく、さまざまな国でサイクリングするという大きなプロジェクトの一部です。
日本から始めることにしたのは、2019年にモンベル・チャレンジ・アワードを受賞し、ナイラが大好きなこの国に特別な縁があるからです。

この生き方を選び、地平線を超えてサイクリングするようになった経緯は?

2010年、初めてペダルを踏んだときの自分の姿が今でも目に浮かぶようです。私の人生を一変させるきっかけとなった一踏みです。
この変化は、あっという間に起きました。2009年、私はスイスアルプスの小さな音楽祭に向かっていました。グザヴィエに会ったとき、彼が口にした野生状態の地域の名前と、彼が探検したいと思っている人里離れた場所に魅了されたのです。グザヴィエは無限の夢を持ち、その実現を自分に許しました。私たちは夫婦となり、自転車で3年間の旅に出ました。貯めたお金とスイスの新聞に寄稿した記事を元手に、私たちはスイスを出発し、ニュージーランドへ向かうために、まずアルプスを越えました。体は疲れ、筋肉は痛み、心は迷っていました。雨や雪で周囲の美しい景色が見えなくなり、峠道のせいで過酷な旅となりました。私たちは、この先何千キロも続く道のり、登らなければならない山脈、越えなければならない砂漠、そして冬の寒さを心配していました。私たちは、その時その場で生きることを学ぶしかなかったのです。
でも、カザフスタンの大草原の真ん中で、自分たちが変わってきたことを実感しました。2年以上にわたって世界中の道路を走ってきた結果、私たちが夢に描き、想像し、作り上げた冒険は私たちの人生となったのです。

旅の途中で二人のお嬢さんが誕生されたそうですが?

私たちは、親になるという新たな冒険の可能性を自ら選んだのです。ネパールにいる時に、妊娠したという直感がありました。標高5,500メートル、エベレストに面した場所で、私はグザヴィエに「あなた、パパになるのよ」と伝えました。私たちはヒマラヤのパワーに包まれていました。そこには、躍動する静寂と風の息吹だけがありました。4年後、フィビーが私たちの家族に加わりました。日本にいる間に妊娠したので、驚きと文化的発見を経験する中で、あの子の命が宿ったのです。
二人とも旅の途中のマレーシアで生まれました。それぞれの出産後、二人が生後5カ月になったところで再び旅に出ました。2回続けて、赤ちゃんを連れての旅に飛び込んだのです。まず物質的に身軽になり、本当に必要なものだけを持っていかなければなりませんでした。そして、何よりも精神的に軽くなる必要がありました。必要なのは、勇気だけではありませんでした。人生を信頼し、道に身を委ね、頭の中でぐるぐる回る何千もの疑問を手放すことが必要だったのです。
タイでは3人でサイクリング、沖縄では4人でサイクリングと、旅に出た後は新たなバランスを見つけなければなりませんでした。ナイラとフィビーの調子やニーズ、母乳育児、旅先での必要性、新しい文化に浸ること、気候や天候の変化などが組み合わさった絶え間ない動きの中で、調和を見つけなければならなかったのです。

テント生活はいかがですか?

13年間、私たちと地球はお互いにつながって生活してきました。テントの中で、私たちは生命のあらゆる輝きとつながっているのです。自転車を使って、遠隔地や原野を自主的に横断してきました。私たちは、先祖代々の知恵を掘り下げて、動きながら生きています。土地は 私たちを次から次へと呼び寄せ、私たちはすでに、様々な文化、先住民の知識、氷の歌、高地、それに聖地の波動などを五感で体験しています。常に未知の世界に飛び込むので、その日の夜、どこにテントを張るかもわかりません。この未知の世界は、息をのむような迫力があると同時に、時には恐ろしいものでもあります。私たちは、この未知の世界と共存し、恐怖と向き合うことを学ばなければなりませんでした。私たちの2人の娘もチームの一員です。意思決定に参加し、ペダルをこぎ、テントを張り、そして何よりも遊んでいます。私たちが無限の驚きをもって渡る広大な空間で、彼女たちは自由に遊んでいます。 

なぜ、この人生を選んだのですか?

私たちは、自分たちにとって本当に大切なものを生活の中心に置くことを選びました。子どもたちと過ごす時間、子どもたちに存在感を与えること、自然の中で暮らすこと、人生を信頼すること。そして、あえて自分の直感に従ってみることにしました。
人類学者、写真家、講演者として、私たちは発見したことや受けた教えを分かち合っています。アウトドアライフとマインドフルな子育ての大使として、より持続可能な生き方を目指す社会の動きや、子どものための自然な学習に参加し、遊びや実体験、自然、自己管理を通して子どもが自分のペースで学べるようにサポートしています。私たちは冒険家ですので、1日に使う水を20~40リットルとし、2台の発電機と1台のソーラーパネルで電子機器を充電するなど、少ないもので生活することを選びました。このような生活は、私たちに普通とは違う選択をさせます。私たちは旅を続けながら仕事をし、簡素さの微妙なバランスを取りながら生活しつつも、創造の流れに乗せられ、自分たちのコンパスの4つの基点(生きる、探求する、共有する、人を元気にする)に従っています。

これから6ヶ月間、Vitality.Swissは一家の日本での冒険を追跡していきます。一家の日本での体験談をどうぞお楽しみに!