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山々は国境を越えて繋がるとき

2024年5月29日(水)、アンドレアス・バオム駐日スイス大使の主催により、ピエール=イヴ・ドンゼ教授によるスイスと日本の二国間関係の歴史に関する講演会が開催され、70名を超える参加者が集まりました。

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2024年5月29日(水)、スイス大使公邸にて、スイスと日本の二国間関係の歴史に関する講演会が開催され、70名を超える参加者が集まりました。

スイスと日本の国交樹立160周年を記念して開催されたこの講演会は、両国における重要な特徴である「山」を通してスイスと日本の関係の歴史が語られ、アンドレアス・バオム大使が参加者を温かく迎えました。

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「山が国境を越えるとき:スイスと日本の文化・ビジネス交流史」と題し、大阪大学経済学研究科のピエール=イヴ・ドンゼ教授が1864年に始まった観光交流の歴史を紹介しました。

1945年までは、登山が交流の中心であり、両国の登山家たちが協力して山々に登頂していました。スイスと同様、日本の近代アルピニズム(近代登山)も英国から伝来しており、英国山岳会に触発されて、1905年に日本山岳会が設立され、日本のエリート層がスイス・アルプスの山々を制覇することに注目し始めました。さらに遡り、日本人とスイス・アルプスとの最も古い接点のひとつは、1871年から1873年にかけて米欧に派遣された岩倉使節団でした。明治時代の優れた政治家や学者で構成された岩倉使節団は、ヨーロッパの中心に位置するスイスの勤勉で質素、安定した国というイメージに惹かれました。その後、1921年に3人のスイス人登山ガイドとともにミッテルレギ稜(アイガー東山稜)を経由してアイガーに初登頂した槇有恒(1894-1989)や、1969年に世界最年少(21歳)でアイガー北壁登攀に成功した辰野勇がよく知られています。日本の皇室もスイスの山々に魅了され、1926年には秩父宮殿下がマッターホルンに登頂、1953年には明仁皇太子殿下(現:上皇陛下)がユングフラウに登頂、1971年に昭和天皇陛下が日本の天皇として初めて海外を訪問した折にスイスを訪れています。

第二次世界大戦後、両国の関係は多様化していきました。1957年、スイス航空がチューリヒ-東京便を就航し、両国の経済、外交、文化、観光交流が勢いづきました。多くのスイス企業や団体が来日し、姉妹都市や合弁会社が設立され、経済的、文化的な結びつきが深まっていきました。1990年には赤坂のCSタワーにスイスアルプス博物館がオープン。スイスの風景やハイジなどに惹かれてスイスを訪れる日本人観光客も増え、大阪万博(1970年)や札幌冬季オリンピック(1972年)などの世界的なイベントによってスイスから来日する観光客も増えました。今でも日本におけるスイスのイメージはアルプスと自然が思い描かれるいっぽうで、ビジネスとイノベーションがスイスとの関係の核となってきており、2025年に大阪で開催される万博では、有効かつ先端的なイノベーションの拠点としてスイスパビリオンを位置づけています。

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ドンゼ教授による講演は参加者の期待を上回り、二国間の強固なビジネスと文化の関係を掘り下げて明らかにしました。そして、その後の質疑応答や懇親会でも議論が尽きることはありませんでした。